桜さくら つれづればなし
今年は桜の開花が早いですね。
桜って、木肌が黒っぽい色してるから、花の色が一層映えるんだと思わない?
以前さくら湯を自分で作りたくて、職場の桜を集めて回ったことがあります。
満開より一歩手前の桜の花を摘んで干して、塩漬けにするんですが、摘み取ったときは桜って香りがしないんです。
が、干してだんだん水分が抜けてくると、チェリーという呼び方にふさわしい、いい香りがしてくるんです。もう、うっとりしますよ^^
悲しいかなそれらの桜は白かったので、乾燥させたら茶色っぽくなってしまいました。塩漬けにする前の変色はどうしようもない。
八重桜みたいな、濃い桃色ならいいんでしょうか。
と、桜ばなしをしましたが、実はここ10年、わたしは桜は嫌いです。
わたしの最後の師匠は既に鬼籍に入られていますが、江戸っ子だった師匠は大層田舎好きで、お墓はつくばに買いました。桜の樹がたくさん植えてある庭園風霊園です。
ちょうど桜の樹の下で、枝が垂れ下がったところを選んだんでしょうね。確かに満開の桜とその下にあるお墓だけを切り取ってみたら絵になるかもしれませんが。
掃除してもしてもきりがないんですよ。きれいになったと思ったら、風が吹いて一斉にさくらんぼが落ちてくる。うわっとね。しかも食べられないさくらんぼ。
花びらも墓石にはりついて、とりづらいことこのうえないし。
葉桜の季節は葉っぱね。虫もすごいしう○こもすごい。
秋は枯れ葉ね。これもばさっと。
もー大嫌いですよ。民家に桜は植えるなって俗説、あれは掃除が大変だからですよ。断言します。
しかも消毒などのメンテナンスに、1本につき1年で10万程度かかるんだとか。
普通はそこまでかけないでしょ。だから毛虫のう○こがすごいことになるんです。その、落ちたう○こもたくさんで、最初知らなかったからあれが木の実(さくらんぼ)だと思ってました笑。これが雨で溶けるともう・・・・絶句。
単に満開の時だけ眺める分にはいいですけどね。
それまでわたしは身近な人の死というものを体験したことがなかったので、師匠が亡くなった時は大変なショックでした。週末のたびにお墓通って、掃除して。
今思えば、ショックを何かルーティンなことして埋めたかったんだと思います。
そういった意味では桜の掃除は大変だったから、かえってよかったのかもしれないです。
わたしの実家の周りは、畑の横にお墓がある、なんてことがざらにあります。規制される前からあったものでしょうね。竹藪の中にぽつんとお墓があったり、代々のお墓が群れになっているところもあります。
散歩しているとそんな光景をよく目にするのですが、師匠亡きあと、昔の人の方が死をもっと身近に感じていたんだろうなぁと考えたりします。朝家族の分と一緒にお茶を淹れて、そのままお墓に持っていくとかね。庭に咲いた花を切って、お墓に備えに行くとか。わざわざ霊園まで車で出向いて1日がかり、とかじゃないから、お茶だってあったかいのを供えたりできるんだと思うし、かしこまらず、普段の食卓からとりわけてお供えしたりすれば、生と死の境界線もあまり感じないのかもしれません。
昔は今のように交通事情がよろしくないから、嫁ぎ先が遠いとそうお墓参りには行けないわけで。命日などにお墓の方向に向かって手を合わせればお墓参りと同じだとされたといいます。確かにもう体はないわけだから、思っただけでもその人のところへ瞬時に移動できるのが霊のいいところですよね。って、実際は不明なところですが。
そう考えたらわざわざお墓に出向かなくてもいいようなものですが、お墓参りは残された人のためのものだなぁと、師匠の件を通してそう思うようになりました。
桜咲きましたね。今年も大変ですね。
お墓そうじに苦労してる姿をみて、師匠は楽しんでるかもしれません。
そういう方だったから笑。