陰翳礼賛
谷崎潤一郎先生のパクり。(標題だけね)。
陰てすばらしいんだよという話です。
ちまたでは明るいとか陽キャラとか、とにかく陽をよしとして重んじているような風潮がありますよね。
ポジティブよし、ネガティブはだめみたいなね。
しかしわたしは言いたい。陰も同じくらい大事なのよと。
強い日差しには強い影ができるように、この世界は陰と陽がワンセットになっています。
そして陰陽というように、陰が先にあるから陽があるのです。
順番は、陰が先なのです。
たとえば、ものすごく明るいキャラで通っている人も、絶対に陰があるはずなんです。それだけ明るい分、どこかに強く影ができる。そんな四六時中ハイだったらおかしいですし、休息も必要で、夜になったら眠るでしょう。この眠るというのも陰です。人は陰も陽も、どっちも必要なんです。
スケルトンハウスで人は生活できないですよね。まず明るすぎて眠れないし、家なのに透けてたら、プライベート丸出しです。
お風呂やトイレまでスケルトンだったら?やはり人間、いくらあけすけでもさらけ出さないほうがいいものがあるのです。
ここだけの話、、、という内緒話をするときって、人がいないところや個室のようなところを自然と選びませんか?
まちがっても、広くて明るくて、話が周りの人に筒抜けになるような場所で悩み相談、なんてしないはずなんです。
悩み事はともすると隠したいことでもあったりするので、誰にでも知られたくないものなんです。
九星というのは宇宙が作った構成要素です。どれも必要で、過不足なくできている。
けれどわたしは長いこと、一白水星の存在理由がわかりませんでした。
象意をみると、暗いものばかりなんです。
死、死体、生、生殖器、性病、性交渉、夜、暗い、冬、寒い、貧乏、目の見えない人、病気、垂れる、しわ、苦労、等々。
いわば世の中の陰の要素を担っているのが一白水星でもあります。
しかし上記で説明したように、スケルトンハウスでも隠しておきたい場所というのがあるのです。
また、色気というのも陰の要素になるわけですが、
よく考えてみてみてください。ものすごく明るいにぎやかな、というところに色気の要素ってなくないですか?
先日金沢のひがし茶屋街で、昔のお茶屋をみてきました。
真っ赤な壁に、金銀の装飾品。みているこちらがはずかしくなるほど、やりすぎというくらいの装飾ですが、当時は電気がなかった時代、ろうそくで明かりをとっていました。
夜の宴会は、ろうそくから少し離れたところは暗闇に溶け込んでしまうので、それくらい派手にしないとわかりにくかったんだろうと思いました。
だから芸者さんのおしろいも真っ白だった。紅もくれないだった。
ベージュじゃないんです。ナチュラルカラーの紅でもないんです。潔いまでの白と朱の色だったんです。
少ない明かりの中でもわかるような、そして日本人の黒髪を一層ひきたてるような、対照的な色味を使ったんですね。
ほの暗さのなかに浮かび上がる白、黒、赤、金、、、そしてろうそくから離れたところは暗く、芸者さんが動くたび、衣装の赤や黒が、手の白さが紅のくれないが見え隠れするのは、大層色気がありませんか。
これが蛍光灯で全面明るく、こうこうと照らしてはいどうぞみてください!になってしまうと、色気も半減するんじゃないかと思うんですよね。
また、現在でも、色気を感じる場所というのは暗さつまり陰がそばにありませんか。
ネオン街はやっぱり夜だし、バーなどの飲み屋も夜の方が雰囲気がある。
陰の中に雰囲気や余韻があるのです。
谷崎潤一郎先生の文章力にはとうてい及びませんが、先生も著書の中で、陰の素晴らしさを説得力ある文章で書かれています。
短編だし、青空文庫(無料の文学サイト)にもあるんじゃないかな?
一読をおすすめします^^
☆余談ですが、占いなどの相談事も、一白水星の管轄になります。人というのはもともとほら穴などで生活していたことから、狭くて暗い部屋というのが落ち着くものなのです。相談事などは、だから狭めのところで落ち着いて話せる環境というのが望ましい。少しシチュエーションは違いますが、街頭などで夜に易者が座って客待ちしている姿なども、相談事は暗く目立たないところでしたいという心理を如実に表していると思います。