光源氏は果たして不幸なのか?

先日、方違え(かたたがえ)について、源氏物語を引き合いに出して説明しました。

そしたら、主人から「光源氏って結局幸せになってなくない?」とクレームが。
方違えという吉方とりをしているのに、気持ちが上向きになってないよと。

ここで私が検証しましょう。

人間の欲というのは、容姿、人間関係(恋愛)、金運、仕事運、名誉運(地位)、健康運と、大きく分けるとそんなところなんです。

そして、光源氏はそのどれも得ているわけです。
人間関係:年上受けよろし、身分も高いし、おかしなこともまずされない
恋愛関係:美男子なのでモテモテ
金運:貴族だからあるでしょ
仕事:宮中勤め
名誉(地位):天皇にもなれる身分
健康:悪いなんて話のどこにも出てこない。てか、不健康だとまずもてない

物語ではあるけどこれだけ才色兼備でお金もあってもてて、これで「不幸そう」はなくない?というのが私の意見です。

同時期、平安時代の作品「羅生門」(芥川龍之介)と比べたら一目瞭然です。平安時代は華やかな印象が強いですが、現実は羅生門のような、貴族の高貴とされる女性でも男性に袖引かないと生活できない困窮ぶり、飢饉や伝染病で街は荒れ、税の徴収もままならず宮中が荒れ果てて、門には追いはぎとして待ち構える物騒な人間がうようよ、というほうが、むしろデフォなんじゃないかと私は思います。

というよりも、光源氏の場合は、物質面と精神面の両方でみたら、物質面では文句なくいいが、精神面では本人的に不満が残っている感がある、ということになりますね。

大抵のことは、物質的な満足を得られれば精神面での満足につながるんですけども。

ここまで満たされていてまだ満足しないのは、沢田研二の「六番目のユ・ウ・ウ・ツ」状態なんじゃないですかね。

人間、満たされすぎると却って不満に思う的な歌なんですが、

結局人の気持ちって、時代が変わってもそうかわらない。
今も昔もそうだってことなんですね。

ないものねだりってことですな。

少し前に「吉方をとると気持ちが前向きになる」と書いたばっかりなのに、相反する内容になってしまって困っております笑。

けどこれって物語だし、満たされすぎてのわがままだと思うので、苦労を知らないゆえのわがまま病ですかね。
こういう場合はつける薬はないですな。

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