決めればそうなる2

私の4番目の師匠、水流天山先生が生前よく話していたのは

「俺は病気になって、あちこち管だらけにされたり、何かをくっつけてまで生きながらえていたくない」ということでした。
五体満足でいられないなら、潔く命を終えた方がいいと。

先生は6月に病気がわかり、その翌年の6月にはお墓の前で手を合わせていたという、実にあっという間の速さで逝ってしまわれたわけですが、亡くなるぎりぎりまで本当にお元気で「この人本当に病人?」て感じでした。入院してても隣のベッドにぴょんと飛び移ったり、しちゃうんです笑。その時となりは空いてたんですよね。

お墓の前で手を合わせながら私は、あまりにあっというまの出来事で気持ちが追い付かず、狐につままれた感に時折なりながらも、
生きざまは死にざまだなぁ、あっぱれな人だったなぁと思いました。

生前言ってた通りになったよ、せっかちな先生らしかったなぁと。

また、私の友人で大層きれいな女性がいました。
この方は美意識が高く、身ぎれいにしていたので、40代半ばを過ぎても男性に言い寄られることもしょっちゅうでした。
彼氏がいてもです。彼女は独身できれいだったので、彼氏がいてもとにかくよくもてていました。

が、この友人は肺がんで亡くなってしまいます。
生前よく話していたのは「きれいでいられるうちに死にたい。50手前かな」でした。
実際彼女が亡くなったのは49歳の時でした。
お化粧された最後の顔はとてもきれいで、眠っているかのようでした。お人形さんみたいにきれいで、ああいってた通りになったねと思いました。

私にとって身近な人との死別というのは、天山先生とこの友人、そして父くらいなので統計というには数が少なすぎますが、決めればそうなるというのは、死に際についてもそうなんだなと思いました。

先生も友人も、ことあるごとに話していた死に際ですが、それだけしっかり決めていたから再三、口にしたんでしょうし(身近な人にだけでしょうが)、実際そうなっていくものなんだなと思いました。

ある程度こうしたいとか、決めることって思ってる以上に大事なことなのかもしれないですね。


前の記事

暦があてはまらない人2