暗剣殺が消えた

私の大好きな小説、宮尾登美子「鬼龍院花子の生涯」の一節です。

この一文を読んだとき、感動でふるえましたね。

夏目雅子さんの「なめたらあかんぜよ」が有名ですが、小説ではその台詞は出てきません。
松江はあくまでも我慢を通した女性として描かれています。

えせ文学少女だった私は笑、朝日か読売か忘れましたが、新聞の日曜版で「クレオパトラ」の連載が始まった時に、初めて宮尾登美子さんを知りました。中学生の時です。

当時は新聞の勧誘がすごくて、両親はしょっちゅうノベルティ(主に洗剤)につられて朝日と読売を交互に購読していました。ですのでどちらに連載されていたか、ちょっと定かではないのですが。

見開きいっぱいに美しい挿絵と文章がつづられていて、この「クレオパトラ」も「鬼龍院花子の生涯」も同じ著者であると知ったのは、ずいぶん後のことです。

毎週本当に楽しみでした。見開きで終わるボリュームだから、読みやすかったんですよね。
1年続いたのかな?毎週継続して読み続けた達成感と、美しい挿絵、美しい終わり方に満足感がありました。

私があれこれ言うのはおこがましいのですが、彼女の文章は一言ひとことが的確で丁寧で、1行ごとに感動することが多く、薄いものでもなかなか次に進めないです。ですので彼女の作品は文字を味わう感じですね。ばち袋なんて、書けますか。すごく難しい漢字があてられていてそれがまたこの文章にマッチするんです。

それだけ昨今の、いや私の読解力がないのでしょうね。昔のひとはこんな難しい漢字を当たり前のように読み書きしてたんだろうなぁ。
と無知な自分を悔いるのですが仕方ない、辞書ひきながら読むのも楽しいんですよね。

そして、女性の心理描写がすばらしい。普段の生活の中でもふと普通に思うけど忘れがちな気持ち、表現しきれない気持ちといったものをすくいあげ、美しい文章に昇華させるあたりはもう、芸術の域だと思います。

そんな彼女の小説の中で一番好きなのが「鬼龍院花子の生涯」。冒頭から感動しっぱなしの文章なんですが、つるが花子を妊娠するくだり「けんど親分さん、月のもんももう暫くありませんし、胸の辺りもいっつもむかむかして御膳もあんまり食べれません」とか、すごくないですか。

彼女が書くとどんな下世話な話も文学にまで持ち上げられてしまう。

「鬼政の身のうちに一筋、きりりと清涼の歓喜が立ち、やがてそれが激情に変ったとき」
このくだりとか、たまんない。鬼政が、自分が父親になるということに感動してるんですね。

「あたしゃしょせん狂い蝶か、恋蛍」
なんて水商売の女性の台詞が出てくるのもすごいところ。
この〆太という芸者の女性は鬼政にほれ込んで押しかけ女房よろしく鬼政の家に転がり込んでいるのですが、つるの妊娠によって捨てられてしまうんです。
これが自分よりいい女っぷりならまだ負けがいもあるけど、「見た目は泥だらけの田芋、気働きも全くなし」のつるに負けたから、悔しいわけです。〆太は妓楼でも一番人気のいい女ですからね。
この人はこういう話書かせると凄みがありますね。

そして極め付けが91ページ
暗剣殺が消えた」ですよ。

この一文で、天音、ノックアウトされました笑。

自分にとってのライバル、やっかいものが刑務所に入ったことを「暗剣殺が消えた」と表現したわけです。
気学を勉強していて知っている言葉がいきなりでてきて、こういう使い方もあるのか!!!!と感動しました。

この話は大正四年、今から100年ほど前の話なんですが、一つ身四つ身、縞のねまきなど、和裁用語もばんばんでてくるし、今現在和裁を習っているわたしにとっては、いろんな視点で面白いんですよね。

やっと肌襦袢4枚を経て、つぎは縞のねまきに突入するかなーと、自分の和裁の進み具合と、あ当時は縞の寝巻、リアルに使ってたのね私も使おー、とか。

100年前はみんな着物着てたのに、なんで今ってほとんど洋服なんでしょうね?
そろそろ原点回帰でみんな着物着ましょうよ。とか脱線しつつ。

暦もね。鬼政が「暗剣殺が消えた」と言ってるあたりで、今より暦が一般的に普及してたのかなぁと思うんですよね。
その子分たちも暦を使ってるシーンが出てくるのです。
身近に使ってたんだなぁと思いました。

そしてスペイン風邪が大流行してるくだりもあって、時代って繰り返すんだなぁと思いながら読んでいます。

もう何度も読み返している小説です。

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