墓守の星回り

北大路魯山人別邸の茶室

またもや本編とは関係ない写真から。
この茶室は雪で崩壊したため、現在見学できるのは再建築したものだそうです。

しかし、風情ある方だったんですね。
食通で、金沢で日本料理を修行、山代温泉で九谷焼を学び、彫刻や書もたしなみ、、、見習いたい。


今日の表題、墓守について。

生まれた日の干支で、墓守の星があるかどうかがわかります。

これがあると、呼び名の通り墓守役をすることになります。

人によっては親のみならず、兄弟や近しい人たちの最後まで面倒見る羽目になったりします。

これは陰陽五行のなかの、四柱推命での見方になってきます。
その名も「墓」に該当する人が、これにあたります。

わたしは身近な人の死というものを、20代、30代ではほとんど経験してこなかったので、この墓というものがいまひとつぴんと来なかったのですが、最近これを実感することがプライベートでありまして(わたし自身は墓は持っていません)。

この「墓」があると、長男でなくても、男性でなくても上記のような運命になってしまいがちなのです。

もちろん長男にこの「墓」があれば理想的?で、わたしの義兄、主人の兄(長男)はこの「墓」を持っていて、ずいぶん若いころから自分があとを継いで墓も守ると宣言しています。ありがたいことです。

が、このごろ思うのは、こういった昔からの慣習が変化しつつある昨今、「墓」はどのように変化していくのかなーということです。

わたしの父は既に他界していますが、骨は一部を残して海に散骨しました。

生前の父の強い希望だったこともあり、また残された家族の後々を考えて、父の希望通り散骨となりました。

今は散骨の他にも樹木葬や、固めてジュエリーにしてしまう方法などもあり、お墓という形態をとっていないことも増えました。

例えば、気学での三碧木星は「声あってかたちなし」という意味合いがあります。

これは中国で4千年前から言われていることで、代表的なものでは雷や音、ということになりますが、現代にあてはめるとパソコンなどのソフトウェアがこの「声あってかたちなし」の三碧に該当します。

同じように墓守も、形を変えて残っていくのでしょうか。

占い師の戯言でした。。。