縁は異なもの味なもの
ダイソーの手拭いで、ぬいぐるみの作務衣?甚平?を作りました。
参考にするために、ネット通販の作務衣のサイトみたんですが、作務衣ってラクですね。おくみも共襟もいらない。おかげでラクしました。
作務衣と甚平ってどう違うんでしょうね。
高校時代からの友人は、高2、高3と同じクラスでしたが、在学中は違うグループでした。
卒業してから5年ほど、お互い連絡もとっていなかった期間があり(おかげでお互いこの5年は何をしていたか把握しきれていない)、ひょんなことからやり取りするようになって以来、ずっと途絶えることなく付き合いが続き、現在に至っています。
たまたまですが、今は比較的近所に住んでいるので、ちょこちょこ会う仲です。
というか、つくばと都内という距離でも、結構やりとりしては会ってたんですよね。
また、もうひとり、仕事を辞めてから頻繁に会うようになった友人がいます。
同じ部署だった時期もあり、それなりに会話は交わしていましたが、ラインでやりとりしたり、彼女が都内にきた時やわたしの帰省時など、予定を合わせてまめに会うようになったのは、ここ2,3年の話です。
と、いうように、当時さほどでなくとも、その場所(学校や会社)に行くことがなくなってから始まる縁というものがあるんだなーと思うようになりました。
むしろ学生時代、仕事してたとき、そこで仲良かった人は別にいたのにね。
なのでというわけではないのですが、わたしはその場限りの縁でも大事にしたいなーと思ってます。
案外あとあとまで続く縁の人になることもあるからです。
それをいうなら主人もそうです。
通説?では、職場は入って5年で縁がなければそこでの社内恋愛、結婚はありえないといいますが。
実際その通りで、わたしは前職は20年以上いましたが、社内恋愛は一度もありませんでした。
出向で他社からやってきた主人と、少し話すようになって半年後には入籍が決まってしまいました。
縁というのは、努力してどうこうというものではない気がします。
陰陽の話ですと、干合を組んでいれば夫婦の縁があるとか、同一空亡もひとつの縁とかありますが、
特別つなぎとめようと努力しなくても続いていくのが縁なのかなーと思います。
ほかにも前職場で同じ部署だったことがある、建屋が同じだったことがある、顔見知り的な人と、お互いの誕生日だけラインをしあう仲の男性が、わたしにはふたりほどいます。
わたしの誕生日と相手の誕生日、その時だけおめでとう、元気?と生存確認的なやりとりをする仲です。
しかも年の差が、ひとりは40歳以上うえで、もう一人は10歳年下です。
仲は悪くなかったですが、特別よくもなかったんですけどね。辞めるときにご挨拶的にライン交換したら、こういう形で続くようになりました。
まあまだほかにもあるんですが、今回は割愛。
師匠が亡くなったときに「チューブだらけだろうが意識なかろうが、息してるだけでいい」と思ったんですよね。それでも逝ってしまった。
そのとき、「生きていたら地球の裏側にいたとしても、ラインでやりとりできるし、会おうと思えばいろんな手段使って会うこともできる。死んでなければ地球上のどこかにいて、つながることは可能」と思ったし、実際そうなので、死ななければ大丈夫。時間たってても大丈夫。と思っています。
なので、ここからが本題で、恋愛の縁について書きますが、
必死でつなぎとめなきゃつながっていられない仲はそこまでの縁で、つまり縁がないということなのであきらめましょう。
と、天音は思います。
同時に、
今ある縁は、意識して大事にしましょう。
とも思います。
「わたしはあなたと縁があります」なんてプレートをさげてるわけじゃないので、縁がある人ってわかりませんものね。
だけど、縁あるなと気づいたら、大事にしたいと思うのです。
切れるのは簡単だから。
だって、学生時代仲良かった子も、卒業してしばらく連絡取らないうちに疎遠になっちゃったってケース、多くないですか?
特にもめたわけでもないし、嫌なことがあったわけでもないのに、あまり考えずにいたから疎遠になってしまった。
そういう子もたくさんいます。特に女性は結婚して苗字変わったり、他県に住んだりすると、もう生存確認すら難しくなってくるし。
案外、そのときは嫌いだと思っていた人とも、縁があったりするものです。
わたしは主人がそうですね。仕事での彼は大嫌いでした。それが今では結婚してるんだから、縁て不思議です。
だらだらと、つれづれに書いてみました。